明治から続く、アメリカ政府と種子島の知られざる関係 伊関小学校|西之表市
西之表市の北東部、海沿いにある「伊関」は、道路と地形の都合上、それほど人通りが多くない地区です。
が、しかし、じつは島の歴史に残る大きな出来事のあった場所で、この校舎もその出来事に関係しています。
種子島にはいくつかの「難破船」の話があり、最も有名なのは門倉岬の鉄砲伝来ですね。じつは、他にもアメリカ商船「カシミア号」の難破事故というのがありました。明治のことです。
概要を説明すると・・・
あらすじはこうです。
[BOX] 1.アメリカ商船「カシミア号」が西之表東海岸で難破し、乗組員が伊関と立山の海岸に流れ着いた。2.伊関と安城の島民が救助し、数名の犠牲を出しながらもカシミア号乗組員は帰国することができた。
3.アメリカ政府より謝礼があり、伊関と安城はそれを分割。伊関小学校は、そのお金の一部を使って島内初の鉄筋校舎となった。
4.今でも伊関・立山・安城には、先人の美徳を語り継ぐ碑と、この事件に由来する行事も残っている。[endBOX]
ということで、実はアメリカ政府と種子島が意外なところでつながっていたのです。明治のことですよ!
※詳しく知りたい方はこのページの一番下へ。
どうでしょう。明治時代に、すでに種子島がアメリカ政府との縁があったなんて、すごくないですか?
明治が難破船で、今は宇宙開発でありますよ。なんだかんだで歴史は続くのですね・・・。
さて、正門の横には・・・
ちょっとこれ不思議な石碑ですよね。
わかるでしょうか。写真正面のピースマーク(ウサギだそうです!)の石碑。卒業生は絶対覚えてそう(笑)
残念ながら、校舎は生まれ変わります
100年以上も伊関の教育を担ってきた伊関小学校の校舎ですが、老朽化により新校舎として生まれ変わっています。
撮影時はまだ建設中でしたが、いまでは新しい校舎で、伊関っ子が元気に駆けまわっていることでしょう。
ちなみに・・・
学校一覧のページに使用しているこの写真も、伊関小学校のものです。
木折坂より、沖ヶ浜田と伊関小学校。
※写真掲載にあたり西之表市・中種子町・南種子町の許可を得ています