なぜ、僕は島の外から「種子島そだち」を運営するのか

こんにちは。種子島育ち管理人です。

お試しで始めたfacebookページからはじまった種子島そだちも、いつのまにか7000人をこえる「いいね」が集まる場所になりました。

とはいえ、時々メディアからの取材連絡や問合せがくるくらいで、僕自身の何かが変わったわけではありません。

この記事には、初心忘れるべからずということで、facebookページを始めた頃に書いた文章を加筆修正して、置かせていただきます。

島外に住む僕が語る「島の話」は薄っぺらい

あたりまえですが、種子島を支えているのは、今まさに島で暮らしている人です。
僕が外からどれだけ島の思い出を語ったり、「島のことを知ってほしい」などと言ったところで、それは「島外に住む人が語ること」の域を出ません。

なんだかんだ言っても、島外の目線と島で生きる目線は違うのです。

たとえば、昔遊んでいた川が埋められ、新しい道が通った時、帰省した僕は「思い出の場所がなくなったなぁ」と思うけど、それは島で暮らす人にとっては「やっと便利になった。畑や買い物に行くのが楽になった。」という事だったりします。

「今の島」を本当に語ることができるのは、現在進行系で島に住んでいる人だけです。島も自分も変わっていくのだから、島を離れれば目線はズレていくのです。

それが身にしみているから、島の外から島を紹介する自分は、とても失礼な存在なのではないかと思うことがあります。

でも、島の外に居るからできる事も、きっとあるのだと思い、この場所を運営しています。

繋がった時代に僕ができること

インターネットの普及で世界は大きく代わりました。昔だったら旅行会社やガイドブックの中にだけあった情報が、いまはスマートフォンでどんどん探せます。

人の生き方も変わりました。昔だったら「じゃあみんな元気でな!成人式には会おうぜ!」という別れの旅立ちだったところが、今は「じゃ!LINEに連絡ちょうだい。お互いがんばろうぜ」っていう「つながった旅立ち」です。

でも、いつでも話せるからこそ、忘れてしまうこともあります。

考えてみてください。

同級生と最後に島の話をしたのは、いつですか?

家族から最後に地元の出来事を聞いたのは、いつですか?

人生はイベントの連続で、必死で生きるほどに、目の前にある事に押されて、島のことや昔の事がすーっと薄れていきます。

そんな中で僕ができるのは「きっかけ作り」です。

あなたと、あなたの同級生と、まだ見ぬ島の先輩後輩たちとが「ふとしたときに、ちょっとだけ島の話をする、きっかけ作り」。

何の変哲もない島の風景でも、懐かしの建物が健在なことでも、子供の頃は嫌いだった食べ物の話でも、話題はなんでもいい。

ふとしたときに「ああ、種子島で過ごした時間は楽しかったな。みんなどうしてるかな」と思い出す、そんなきっかけをつくりたいのです。

そうやって、島とあなたの繋がりが維持されていくことが、将来の島の財産になるのではないかと、勝手に思っています。

片手間で更新しているマイペースな取り組みですが、今後とも種子島そだちをよろしくお願いいたします。

面白かった記事は、友達にも教えてあげてください

2 件のコメント

  • 安納出身、芝耕一郎です。いつも拝見してます。自分も年を取り親も年を取り、島も日々変わっていく。ともゆきは元気ですか?一緒に夜暗くなるまで遊びほうけてたあの頃が一番楽しかった。貧乏だったけど、何にも変えがたい人情豊かな環境で過ごしたことが私にとって宝です。たまに安納に帰ります。いつか飲みたいね〜。ともゆきによろしく。私は鹿児島市内に住んでます。しんぷくと言う会社に勤務してるので帰省の時間潰しに遊びに来て下さい。体に気を付けて頑張ってください。

    • 間違ってたらごめんなさい東京の高田馬場の美容学校で一緒だった 芝ちゃん?私は奄美出身なんですけど私も現在 鹿児島市内に住んでます

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